譲れない思い誰も邪魔できない

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林真鳥くんが関西ジャニーズJrを卒業して振付師になった。

自担がジャニーズJrを卒業しました。

お察しモードじゃないんだよ。本人の言葉が聞けたんだよ。

もう私はそれだけで満足です。

 

嘘。

 

寂しくて仕方ない。涙が溢れて止まらない。もう何も考えられない。目の前にある課題も何もかもやる気がない。真鳥くんのいない関西ジャニーズJr.を愛せる自信が無い。今誰よりも真鳥くんに会いたい。会って愛してるって伝えたい。

なのに伝えられない。

彼はもうジャニーズJrじゃない。

 

はじめて真鳥くんを見たときに「この人の踊り方が好きだ」って思った。何が好きなのか、って言われたら分からないけれど、すごく好きだった。それからずーっと変わることなく、真鳥くんのダンスが好きだ。

真鳥くんを「自担」って呼んだ日はもういつだったか覚えてない。私の自担がいなくなったから、自然と踊り方が好きだった真鳥くんが私の自担に「昇格」しただけだった。それだけ。ただそれだけの話。

このとき私が他の関西Jrの誰でもなく真鳥くんを自担にしたのは、必然であり運命だったんだと思う。

真鳥くんのことを大好きだったときで辛かったときなんてなかった。

嘘、多分あった。でもそれは辛いんじゃなくて悔しかった。

これだけ力があるのにどうして、って思ったときは数えられないほどある。1人で涙して眠れなかった夜も死ぬほどある。あと何枚写真を買えば、あと何枚ハガキを出せば彼は私達の前のステージで笑顔を見せてくれるんだろう。

そんなふうに思ったときほど、彼は私達の気持ちを汲んだようにステージに返ってきた。私たちに直接言葉を送ってくれた。

あぁ真鳥くんのファンって幸せだなぁ。そう思ったのは1度じゃない。

 

Funky8。そう言われる括りができた。彼はFunky3だった。

3って数字が好きになった。意味もなく3を選ぶようになった。3のナンバーリングも買った。私のユーザー名にある「3」は真鳥くんの「3」だ。

Funkyは彼らをよく表わした言葉だと思う。そうだった。彼らはFunkyな8人だった。

8人でデビューしたい。8人で踊る姿を見たときにそう思った。

8人で少クラにでる姿、8人がジャケットのCDを手に取った自分の姿、8人が降りるMステの階段、8人で埋めるドーム。全てが夢じゃなかった。目標だった。

本人達の口からも「8人で」「公式グループになりたい」「8人で仕事がしたい」「8人でデビューしたい」という言葉をたくさん聞くようになった。

狂ったようにハガキを書いた。何度も何度もハガキを書いた。ラジオが決まればメールを送り、雑誌に載ればハガキを出し、コンサートのときにはファンレターを送る。

結果として8人は8人でなくなった。

公式グループになることも無く、8人での仕事は無くなった。

未だになんでなのかはわからない。1つ理由をこじつけるとすれば、本人達とヲタクの熱量に事務所が追いついて来れなかったからだ。こんなの「思い込み」って言われるんだろうなぁ。でも本当にそうだったと思う。あの時の私達はそれぐらい前しか向いていなかった。

 

気づいたら彼は関西ジャニーズJr.のステージに立つ機会が減った。気づいたら誰かの2列目にいた。

ふと松竹座に目を向けると、8人の中の何人かはステージの1列目で踊っているのに、彼は誰かの2列目だった。

2列目で踊るジャニーズJrは好きだ。2列目でどれだけ記憶に残すか、どれだけファンを増やすか、っていう覚悟の目と覚悟のパフォーマンスをするジャニーズJrが大好きだ。

それでもやっぱり、好きな人は1列目で見たい。1列目に立つ彼を見てしまったから。いつか1列目でドームに立つ夢を見てしまったから。彼を1列目に、あわよくば8人で1列目に立つことがそのときの夢だった。

 

そんなとき、真鳥くんはアメリカに旅立った。ダンスを学ぶために、NYとLAへ行った。

もう帰ってこないかもしれない。そう思ったら不安で仕方なかった。ジャニーズJrの外の世界を見ないで欲しかった。そっちが楽しくなってしまったら、私にはもうどうすることも出来ない。

真鳥くんのいない日本が考えられなかった。日本で生きる意味がないから私もアメリカに行こうと思った。

そうしたら、また私の気持ちを汲んだかのように、彼は言葉をくれた。

「関西ジャニーズJr.のために」「さらに力をつけたい」「自由の女神抱いてきます!」

真っ先に「自由の女神 なるには」でググッた。なれなかった。

本人の口からそう言われたらものすごく安心した。嬉しかった。元々かっこいい真鳥くんがかっこよく見えて仕方なかった。町中に「今真鳥くんNYとLAにダンス留学してるんですよ。かっこよくないですか?」って言いふらしたかった。

1ヵ月。彼の無事を祈って大阪に私はいた。1ヵ月後にはパワーアップした真鳥くんが見れるんだ。そう思ったら嬉しくて仕方がなかった。

 

真鳥くんがパワーアップした姿を見れたのは次の年の1月のことだった。

 

留学から帰ってきて1ヶ月、関ジャ二∞のツアーのバックに真鳥くんの姿はあった。やっぱり2列目だった。そうじゃない。私が求めているのは1列目に立つ彼の姿。

ただドームに立つ真鳥くんが見たいんじゃないの。1列目で、自分のコンサートでドームに立つ真鳥くんが見たい。そう思った。

昔からずーっとお世話になってきた関ジャ二∞。Jr紹介もしてくれた関ジャ二∞。「Funky8」の名前が、あのとき以来に出た。今思い返せば、あのJr紹介を作ってくれたのは横倉だったなぁ。

Funky8」の名前が出ても、そこには8人いなかった。悔しかった。もう「Funky8」は名乗れないし、8人が横に揃うことは無い。

 

次の年の1月。私は大阪城ホールで関西ジャニーズJr.と新年を迎えたことを祝うことは出来なかった。物理的にチケットがなかった。

WESTのデビュー以来のあけおめコン、n億年ぶりに出たうちわ、久しぶりの城ホ。胸がうきうきした。

結果は悔しく終わった。

最近本人の口から「あのときは悔しかった」って聞けたのが嬉しかった。

でも、彼は何倍も何万倍もパワーアップしていた。留学ってすげえ、って思った。またひとつもふたつも彼のことを好きになった。

 

次に彼を見たのは11月だった。梅田芸術劇場。彼は関西ジャニーズJr.のステージに帰ってきた。

あの夏お世話になった横倉が、関西ジャニーズJr.の公演をプロデュースする。ただでさえ取れないチケットはまた取れなかった。なんとかもぎとった1枚のチケットは3階席だった。

もう握りすぎてボロボロになってきた「真鳥」のうちわを持って、いつもの松竹座では無い、梅田芸術劇場に乗り込んだ。

真鳥くんは1列目だった。

真鳥くんはやっぱり1列目にいるべき人だった。1列目が1番似合っていた。

あぁこの曲は真鳥くんが振り付けしたんだろうなぁ。そう思えるぐらいには彼の振り付けを見ていたんだろう。

今までなんでこんな悔しい思いしてたんだろう、ってぐらい出番があった。まるで今までもずっとその場所が真鳥くんの場所であったみたいに真鳥くんは1列目にいた。

夢に向かって一歩一歩

未来なんて見えなくて

今を生きるのに

必死なんだ

真鳥くんがハンドマイクをもって歌った歌詞。やべえ曲だな、って思った。なんとなくヤスっぽいな、って思った。ヤスだった。

最後に彼は「約束するよ あの場所に連れてくから」と歌った。真鳥くんの指す「あの場所」はどこなんだろう。

何よりも、真鳥くんが今私の目の前で1列目でパフォーマンスをしていることが嬉しかった11月。

 

12月も、1月も、彼は関西ジャニーズJr.のステージに立った。ありがたいことにチケットはいつも激戦で、私が入る隙は1ミクロンもなかった。今考えたらこのときに、何万も、何億積んでもチケットを取ればよかったのかも知れない。

 

1月が彼の最後の姿になる。

 

康二と龍太くんの卒業コンサートで終わった今年のあけおめは、同時に真鳥くんの卒業コンサートにもなった。彼はそれから今日まで、ステージに姿を表していない。

 

1月のコンサートが終わって、真鳥くんはまた留学した。どことなく不安だった。周りのメンバーはみんなグループに入ったり、お仕事が決まったりしてる中、彼はアメリカにいた。帰ってきたときに真鳥くんの場所はまだあるのかなぁ。

 

3月。いつもの松竹座に彼の姿はなかった。なんとなく気づいていた。この思いはもう腐るほどしてる。まぁ今回はアメリカいたしなぁ。夏にはまた松竹座で真鳥くんを見れるだろうな。そう思っていた。彼の姿はステージの上ではなく、客席だった。

 

春の松竹座の千秋楽。1人の子の卒業公演。その子は事務所に残らず、旅立つ決意をした。8人の中の1人だった。

最後の8人が揃う場所に真鳥くんはいなかった。7人が肩を組んでステージの1列目の真ん中で、その子の旅立ちを祝っていた。どうしてその場所に真鳥くんがいることが出来ないんだろう。不安になった。

 

そこからずっと不安だった。いつ写真がなくなるかわからない。いつプロフィールが消えるかわからない。でもどこかで、彼はずっと私の目の前にいると思っていた。だから、色んな人が「まとくん辞めた?」とかいう度に「うるっせーな、勝手に辞めさせんなや💢💢💢💢」ってブチ切れてた。

 

そして今日が来た。ずっと見たかった真鳥くんの文章だった。

真鳥くんが振付師になる決意が確固たるものになったのは、帰国したときらしい。それが嬉しかった。彼は最後にステージに立ったその瞬間まで頭のてっぺんから爪の先まで「アイドル」だったのだ。

卒業公演だった松竹座も見届けたらしい。「最高にFunkyで愛に溢れた素敵な公演」だったって。もうFunkyって言えなくなるのかなぁ。

 

16年。たかが16年。されど16年。

産まれたばかりの赤ちゃんが高校1年になれば16年が経つ。それだけの時間を彼はジャニーズJrに捧げてきた。

周りの友達と遊ぶ機会は少なかっただろうし、制限されることも沢山あっただろう。楽しい思いだけじゃなかったし、悔しい思いなんて腐るほどしてきた。

でも真鳥くんはその16年間を「幸せだった」と言った。「ステージに立つことは自分の1番好きな時間」と言った。

そして「今後の自分の挑戦にワクワクする」と言った。

真鳥くんだった。いつまでもどこまでも真鳥くんだった。

 

「悲しい」と思わないで欲しい。彼は最初で最後、私たちにお願いをした。いつも私達のそばにいる。それが林真鳥だった。

 

ステージ上ではなく、同じ客席から、同じ視点で、同じ景色を見る。これからの私たちと真鳥くんの関係だ。

 

最後の最後まで真鳥くんは真鳥くんだった。留学しても何も変わらず、真鳥くんは真鳥くんだった。どんな場所でも前を向き続けて進んでいく。それが私の大好きな林真鳥だった。

 

正直今本っ当に何も考えられない。好きになったときから振り返ってみたけど楽しい思い出ばっかりで、真鳥くんがいない日々が考えられない。とりあえず課題が死ぬほどあるからそれだけやって寝ようと思う。真鳥くん以上に好きになれる関西ジャニーズJr.は私に表れるかなぁ。真鳥くんのいない松竹座に足を運べるのかなぁ。真鳥くんのいない日々で、私は生きていけるのかなぁ。

どうなっても私は真鳥担だったし、真鳥くんは関西ジャニーズJr.だった。その事実は変わらない。

 

真鳥担の子達へ

とりあえずみんなでご飯行こっか(笑)

悔しいときも真鳥担のみんなが頑張ってるのを見て、私も真鳥くんのために動こうって思えたよ。みんな一斉に自担失ったけど強く生きていこうね。

 

お友達へ

いつもいつもありがとう。

真鳥くんが留学するってわかったときにド深夜に泣きながらLINEしても受け入れてくれた末澤担、悔しいときに一緒に泣いた末澤担、ファンサもらって膝から崩れ落ちた私を「立って!?!?!?!?」って立たせた末澤担。全部同じ人やん(笑)

「真鳥くんかっこよかったよ」ってことあるごとに言ってくれたお友達各位。「絶対に辞めてない」って言ってくれたお友達各位。

みんながいてくれたから、私は真鳥担でいれました。これから真鳥担じゃなくなるけど、仲良くしてくれたら嬉しいです。今までいっぱいありがとう。

 

林真鳥くんへ

16年間お疲れ様でした。

たくさんの幸せをありがとう。

弱音を吐かない真鳥くんだから、これから1人で外の世界に旅立つのが私は不安です。

苦しいときは苦しいって言ってください。辛いときは辛いって言ってください。

真鳥くんは1人じゃありません。

もうステージに立つ真鳥くんが見れなくなるのがすごく寂しいです。すごくすごく寂しいです。でも真鳥くんが前を向いて新しい道に進むなら、私はそんな真鳥くんを支えたいと思います。

私達は真鳥くんが好きだから勝手に写真を買って勝手にうちわを持って勝手に手紙を書いていただけだから、私達に恩を返すことなんて考えないでください。

真鳥くんは、真鳥くんの意思で、真鳥くんのやりたいことだけをしてください。

真鳥くんが16年幸せだったように、私も真鳥くんを好きだった日々は幸せでした。真鳥くんのこれからにワクワクしています。

「絶対辞めへん」

その言葉通りジャニーズに残ってくれてありがとう。真鳥くんは絶対に嘘をつかないね。

これからは振付師・林真鳥のファンとして、心の奥底で真鳥くんのうちわを振り続けたいと思います。

本当にありがとう。

愛してるよ。

2019.04.11

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